揺れるしあわせ

ツイッターで「子育て中で家を建てた友人に一瞬影響された」話をしたら、意外と反応があった。何気なく感じた“心の揺れ”をつぶやいたのだが、実は多くの人がこの揺れを経験しているのかもしれない。


新築のおうちへの誘い

「◯◯の新しい家で、みんなで会うことになったけど、yuikoも来る?」

どうやら友人が家を建てたらしい。以前から「家を買う」話は聞いていたが、1年近く会っていなかったので、知らない間に家が建ち、引っ越したようだ。

当の本人から連絡を受けたわけでもなく、又聞きという形で知ることになった新築のお知らせ。まぁ特に気にすることもなく、友人達に会えるので行くことにした。

結婚して新築の家に引っ越したというお知らせは初めてではない。これで数回目だ。いつも新しい家に入るとびっくりする。だってあまりに綺麗で、あまりに設備が行き届いているから。

築30年以上の我が家と比べると、未来のような空間。新築のいい香りと広い今風のリビングに子どもたちが遊んでいるのを見て「幸せってこういうのですよね」と心の中まで侵食されていく。

その日会った友人は全員、結婚して子持ち。私だけが独身なので、基本的には育児の話になる。私はどこかで見聞きした子育て知識でなんとかみんなの話についていくという流れだ。

子育ての悩みや子どものかわいい話、最新の育児グッズまで私にとっては未知の世界。ライターとしては参考になる話題だけど、基本的にわからない。楽しいけどね。

夕方に友人宅を離れ、車で帰る途中、ふとなぜか寂しい気分になった。だって、私は、結婚もしてないし子供もいないし、新築の家とか考えてもいない。みんなに遅れをとってるのかなと。

「私はみんなと違うんよ・・・ね、はぁ」

家に着いてから、パートナーにひと通りの話をした。

「今日こんな最新の家に行ったよ。子どもたちも大きくなってたよ。土地の面積もすごい。都会とはやっぱちゃうわ!トイレすごかったー普通の幸せもいいな。」

彼の反応は「ん?どうしたん。俺らも幸せやん。だいたいそんなんyuiko望んでないやん。

私は、彼の反応に若干イラついた。でも、確かにその通りだ。私は、「一戸建て・結婚・子供」なんて考えてもいなかったから。基本的には、好き勝手自由に生きたい人間なので。

でもさ、他人見て「いいな」って思うとき・・・あるやん?


しあわせのテンプレート

でもそういえば、一般的な幸せってなんだろう。

女性に限定すると、「企業に就職→30歳までに素敵な男性と結婚→子ども2人→夫はイクメン・安定職→一戸建てを郊外に購入を手に入れた女性」だろうか?

もちろんこれ以外にも、「相手の親と別居だけど仲がいい・両親は健在で老後の心配もない」などいろいろあるかもしれない。でも、みんなどこかでしあわせのテンプレートはダウンロード済みのはず。いつの間にか、一般的な幸せ像は頭の中に存在するのだ。

ちなみに私は、幸せのテンプレートはあっていいと思う。

だって、誰もが人生の道筋を示してほしいし、「これに沿って歩けばだいたい幸せになれますよ!」という看板があれば、ついていきたいはずだから。

でも道すがら、「この道、危険!」と書いてあった別の道を見つけたらどうなるだろう? キレイな景色が遠くにあってそれに惹かれて危険な道にそれるかもしれない。

危険な道をたどっていくと、道は確かに危険で変な形の石ころにつまづいてしまう。思ったほど食料や水もなく、たまに帰りたいとすら思うかもしれない。

でも心はウキウキ楽しい。先に見える場所は誰も見たことがない景色で、その中で暮らしてみたいとすら思い、歩き続ける。

そしていつのまにかテンプレートの道は遠くに見える。はい、道から外れました。

誰か他のテンプレートも作って欲しいなーなんて、ね。


自分のしあわせ

じゃあ、自分のしあわせってなんだろうか。

これは1人1人違う。だって、別れ道は無数にあるから。「起業したい」「作家になりたい」など夢を実現した時が幸せなのかもしれない。一般的な幸せの女性像から、いくつか変更しただけかもしれない。

でも、実際のところ「何かを手に入れたい」とは思っても、厳密に自分の幸せ像を考えたことのある人は意外と少数派なのではないだろうか? 

なぜなら、幸せって感じるものだから。「多分こうしたら私は幸せ」と思っても、実際そうなってみないとわからないことも多いよね。

じゃあ違う道を歩く人は、それぞれの道の住人のことをどう思うだろう?

「バカだな」、「つまんなさそう」と否定的に捉える人、「大変そうだな」と同情をする人、「そんな人生もあるんだな」と肯定的に捉える人、「自分も行ってみようかな」と思う人、多分無数。

でも、きっとほとんどの人は、そのままその道を歩き続ける。だって、自分で決めた道だから。


人に影響されて気づく自分

道すがら、自分は「十分幸せ」と思っていても、自分とは違う価値観の幸せを持っている人に出会うと、「いいなぁ」と影響されることもある。

そんなとき、いっとき影響されて、「こんな人生もアリかな」と思ったりする。でも、一晩明けると現実に引き戻される。「自分には無理だし今の方がいいな」って。

もしかすると、人はこの“揺れ”を感じたとき、初めて自分の幸せ像に向き合っているのかもしれない。幸せは実体のないものだし、何が幸せかなんて体験してみないとわからない。

ときに誰かに影響され、ときに自分で考え、少しずつ「幸せとはなにか」がわかっていく。


ふりだしに戻る

私の話に戻ると、寝て起きたら「新築・結婚・子ども」の幸せ像にはもう飽きていた。彼の言う通り、私は「望んでいなかった」。酔っていたし、多分そのせいなんだろう。

みんなきっと「誰かの幸せ」と「自分の幸せ」の中で揺れ動いている。だから、どの人生が良いかなんてわからない。一歩ずつ生きるのみ。

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